帰郷
生家を訪れようと思い立った。
東京の私大を卒業する時、私は故郷に帰らなかった。そのまま東京で働き口を見つけ、鳥がつがいを作るように妻と一緒になり、所帯を持った。
故郷には、もう何年も帰っていない。妹が婿を取り、家を継いでいるはずだが、連絡を取り合うこともない。
何故そんな気になったのか、私にもよく分からない。ふとした思いつきだったのだろうが、次第にそれは果たさなければならない義務のように私に迫ってきた。
私は上司に言って、3日間の休暇をもらい、妻には出張が入ったと告げた。妻とではなく、私一人で行くべきだと、帰郷を迫る何者かが私に言うのだ。
私は3日分の旅の支度をして出かけた。上野駅から2時間ほど北上すると、Tという駅がある。そこからさらにバスで1時間かけて行った所に、私の生家はあった。
私がT駅に降り立ったのは、お昼近く。バスの時刻表を見ると、1時間ほど待たなくてはならない。
私は駅前にある蕎麦屋に入った。天ざるでビールを飲み、テレビのニュースをぼんやり眺めた。世界のどこかで戦争があり、日本のどこかで誰かが理不尽な殺され方をしていた。
そうこうしているうちにバスが来た。勘定を済ませ、バスに乗り込む。
バスに揺られながら、青々とした田圃に目を遣る。強い日差しが全てをくっきりとさせている。歩いている者は、ほとんどいない。
Mというバス停で、私はバスを降りる。
停留所には祖母がいた。背中を丸めた、ほんの一掴みしかないような小さな身体だ。
祖母は、「お帰り、みんな待ってる」と言う。
私は、誰にも言わずに帰ってきたはずなのにと不審に思ったが、祖母の口調には、そんな疑念を許さない調子があった。
祖母はすぐに私に背を向けて、先に立って歩き出す。
厳密に言えば、私と祖母に血の繋がりはない。祖母は、祖父の後妻としてこの家に嫁いできた。しかし、幼い頃、農作業で忙しい両親に代わって、私の面倒を見てくれたのは、この祖母なのだ。祖母は私を溺愛した。私が東京の大学に行くことが決まった時、祖母はぼろぼろと涙を流した。
家に着く。家は私が幼い頃過ごした、藁葺の2階建ての家である。
祖母は私を表の座敷に座らせると、奥へ引っ込んでいった。
家は静かだった。人の気配もしなかった。座敷の鴨居には、祖父と祖母の写真が並んで掛けてあった。
障子の影から、猫が顔を出した。トラ柄のぶち、やせ形で尻尾が長い。みいだ。
「みい、おいで」と呼んでみる。
みいは最初警戒していたが、そろりそろりと近くに寄ってきた。膝に載せ、喉の所を撫でてやる。ひとしきりみいは喉を鳴らしてされるがままになっていたが、やがて、すっと膝から下りて部屋を出ていく。途中で、「ついて来る?」とでも言いたげに振り返る。
私はサンダルをつっかけて裏庭に出る。裏には茅葺の納屋がある。みいはその中に入っていく。
私も中に入る。窓もなく、中は暗い。奥の暗がりに何かある。目を凝らしてみると、それは大きな魚の死体だった。大きく口を開け、そこから見える腹の中はがらんどうだった。おろしく空虚な目をしていた。そのうちに私は何だか怖くなってきた。恐怖が私を駆り立てる。声を上げて私は走り始めた。
納屋の脇から畑に下りる細い道がある。私はそこを駆け下りる。
夏草の茂る畑に出た。息が切れる。私は立ち止り、膝に手をやると、ひとしきり呼吸を整えた。
ふと辺りを見ると、夏草に埋もれるように、死骸が累々と転がっていた。
どれもが、私だった。どの私も、まるで人形のように、あるものは仰向けに、あるものはうつ伏せに、転がっている。
私は歩きながら、死骸の一つ一つを確認した。
―これは十八歳の時、あれは二十歳の時の俺じゃないか。…そうか、こんな所にいたのか。
私はいつの間にか懐かしい気持ちでいっぱいになっていた。
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