ひとりぼっちのあいつ
高校の同級生のことについて話をしよう。 彼はいつもひとりだった。少し離れた所から通ってきており、彼と同じ中学の出身者はいなかった。 僕が住む地域には、三つの普通高校と、二つの実業高校があった。 普通高校の一つは女子高で、一つはその他の学校には成績的に行けない層の生徒が入る学校だった。僕が通っていたのは、もう一つの普通高校である。 隣の地域に、県を代表する進学校があり、地区の秀才は、皆そこへ行く。僕が通った学校は、それほどでもない生徒が行く。悪く言えば中途半端だが、よく言えば程がよい。そんな学校だ。 創立は明治の末で、戦前までは農学校だった。戦後、新制高校となるにあたり、普通科を創設した。歴史だけは古い。当時、県内でも珍しい男子校で、一年生の教室は、戦前からある木造二階建ての校舎、一棟があてがわれていた。 ところで、君は人を殴ったことがあるか? — 唐突な問いだが、これはこの話の主題につながっているのだ。 僕は、ある。 僕は中学時代、野球部に所属していた。これが、当時としては珍しくない暴力的な組織だった。 入部して少し経ち、五月の連休が終わった頃、新入生は初めて先輩に殴られる。この制裁を、僕たちは「焼き入れ」と呼んでいた。 その日、一年生は何の説明もされず、部室の前に整列させられる。そして、一人ずつ部室の中に入れられる。 部室には一人分座れるスペースに、バットが敷き詰めてある。 一年生は、その上に正座することを命じられる。その際、膝の裏側、腿と脛の間にバットを一本、挟まれる。床に敷かれたバットが向う脛にごりごりと当たり、挟んだバットが腿と脛を襲う。 そうして、長い説教を受けた後、二年生の先輩一人一人からビンタをもらう。 小学生の時「**ちゃん」と呼んでいた幼馴染が「**先輩」となり、僕にビンタをする。ショックだったね。子どもを社会の上下関係に組み込む、そのための言わば通過儀礼だったのだろう。 一年生はその後、日々「焼き入れ」の恐怖と戦うことになる。それが部の統率のために有効に働いたのは言うまでもない。 そして、彼らが最後に「焼き入れ」をされるのは、二年生に上がって少し経った五月の連休の頃だ。この最後の「焼き入れ」の翌日、彼らは新入生に「焼き入れ」を行う。